長い夜にダンスを教える 

僕は夜中、コンビニの店員をむしょうに殴りたくなって
一番近くのコンビニに向かい始める

家の鍵を閉めないまま、アパートの安い階段を音を立てながら駆け下りる
月明かりに照らされたまま、僕は三輪車に乗って美しい街を静かに駆け抜ける

しばらく静かで真っ暗な街を進み、横断歩道に差し掛かって、赤信号でストップすると
横断歩道の真ん中に豊田さんがいた

「赤だよ、豊田さん、危ないよ、こっちにおいで」
僕は三輪車から手招きをする。



「大丈夫。こんなに深夜にこの道を通る車なんて無いよ。ほら、澄ませてみて、耳。何も聞こえない」
僕は月と信号のLEDに照らされて少しだけ見える豊田さんの笑顔が本気でかわいいと思った。


「今、そっちに行くよ。この信号はあと10秒で青になる」


「なんで分かるの。預言者みたい」
豊田さんがクスクス笑う

「ここら辺の信号の色が変わるタイミング、僕暗記してるんだ。はは。何か、小学生みたいで恥ずかしいや」


「ふふ…じゃあ、そろそろ青になるね、5…4…」
豊田さんは右手を高く挙げ、指で数を数え始めた。

僕も一緒に声をそろえて数を数えた。


「3…2…1……」

信号は音も立てず静かに青に変わった。



「本当だ」
豊田さんがまたクスクス笑う。


僕も横断歩道の真ん中まで三輪車をこいだ。そして僕らは合流し、横断歩道の真ん中で止まったまましゃべり始めた。

「こんばんわ、豊田さん」
少し息を切らしながら挨拶をする。


「こんばんわ、青木君。……今日、寒い」


「寒いね。ところで、どうしてこんなところで一人で居るの」

「それはね…」

「あ、待って、また赤になる。早く渡ろう」

僕は豊田さんの話を遮って、信号を渡り始めた。
豊田さんも黙って後ろについてくる。


後ろで子供がトラックにひかれた。





歩行者道路に移動した僕は再び話始めた。
「もう1回聞くけどどうしてこんなところで一人で居るの」

「青木君にダンスを教えて欲しいの」

「何で、僕がここに来るって分かったの」

「分かる。青木君は今晩、コンビニの店員を殴りたくなるはずだから」

「エスパーみたいだ」

「脳みそのぐるぐるがたまたま今日、青木君と同じリズムなの」

「偶然だね」

「そう、偶然…」


ここで会話が止まって沈黙が訪れた。
豊田さんがたまらずハーと白い息を吐く。

それはモクモクと煙のように立ち上って、暗い空に吸い込まれた。
豊田さんの漏らす息の音も全部、闇に吸い込まれた。



僕は言う。
「まず回ってごらん」

豊田さんは少し笑いながら
そして少し恥ずかしながら
その場で2回クルクルと回った。
「こう?」


「もっとゆっくり。片足で」

豊田さんは自分の足元を見ながら
そして少しふらつきながら
今度はゆっくり丁寧に2回クルクルと回って見せた。
「よくわかんない」


「今のでいいよ。じゃあ、次は僕を思い切り殴るんだ。血が出るくらい。歯が欠けるくらい」

「じゃあ、右でいくね…」


右手を構えたコートの裾からチラリと包帯が見えた。
僕は何ともいえない気分になりながらも
「はい、殴って」
とだけ言った。


豊田さんの少し骨ばった小さい手が僕の頬を思い切り叩きつけた。

その瞬間、僕は血も出なかったし歯も欠けなかったけど

おならが出た。



豊田さんがそれに対して何事もリアクションしなかったので
僕も真面目な顔で居続けた。それに対しては何も触れなかった。




僕は言った。

「今のがダンスだよ」



「ありがとう………ダンスって簡単だね」



僕は黙ったままだった。
どこを見ていたのだろう。
豊田さんの顔だったか。
空だったか。
青さと刺青が彫られたのを隠すための包帯だったか。
何も見ていなかったのかもしれない。
何も見えなかったのかもしれない。


沈黙を塗りつぶすように豊田さんは話を続けた。



「意外と早くおわちゃったね…」



僕が何もしゃべらないのでまた沈黙がやってくる。



「もっと難しいかと思った」

・・・

「もっと早くやってればよかった、こんな簡単なことなら」

・・・

「うん。もっと早くやってれば…」

・・・

「さむーい」

・・・

「…」

・・・

「何か喋ってよ」

豊田さんが笑い出す。


それにつられて僕も少し笑い出した。
冷たい風が通り抜け、近くの電灯のライトが何故かその瞬間に消えた。





「青木君、引っ越すんでしょ」

「引っ越すよ」

「遠い?」

「若干、遠いかも」

「また戻ってくるでしょ」

「うん、普通に。ってか、うん。たまに」



「そっか。…ねえ、1秒だけ目つむって」



「1秒?」


僕はよく分からないまま、目を閉じてまたすぐに開けた。



すると、僕の目の前にはもう豊田さんが居なかった。


一瞬、頭が真っ白になって、その後急いで周りを見渡した。
あたりは灯りもほとんど無い、ただの夜中の街だった。

僕は何故か全身の力が抜け、冷え切ったアスファルトの上に座り込んでしまった。
そして大声で泣き出した。
何だか一生豊田さんに会えない予感がしたからだった。



ただ予感がしただけで、明日の昼間にまた、家の前の公園でばったり会ってたわいのない挨拶をするのかもしれないし
本当に二度とあの笑顔も見れず、声も聞けず、豊田さんの全てが徐々に消えていってしまうかもしれない。


それは僕には分からないけれど、とにかく今夜のこの出来事を忘れないように
僕は今、豊田さんと交わした会話を
一字一句省くことなく、ノートに1万回書くことにした。
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[ 2011/03/21 21:51 ] 日記 | トラックバック(-) | コメント(-)